日本にピラティスが流行する前のこと パート②

クラシカルピラティスインストラクターのJUNです。
ピラティスが今のように流行する前のころのお話の続きを。。
パート①のお話はこちらから

私の最初のピラティスに関わる仕事は、ニューヨークから来た青い目のサラサラな金髪ヘアのモデルのような素敵なピラティスの先生のお世話をすることでした。日本に来るのは初めてで、まだ若い。日本語が喋れなかったので、全て私が通訳しました。住む場所への案内・仕事の説明・スタジオで行うプログラムに付き添っての補助・いつも側にいて何でもする。雑誌の取材、テレビの撮影もありました。芸能人が彼女からピラティスを体験する様を撮影する現場にも居合わせ、彼女をサポートしました。

そんな仕事をしているうちに、「あなたが彼女からピラティスを習って先生になりなさい」ある日、社長が私に声をかけました。まずはプライベートセッションを受け、その数を報告すること、自主練もすること。先生の指導を見学すること。

私は社長から言われたその日から、トレーナーの仕事の合間や仕事の後にマシンを用いたプライベートのピラティスを先生から受け続け、ジムの隅に置かれたリフォーマーに暇を見つけては乗り、自主練を続けました。ジムのスタジオで行うマットピラティスのクラスにも参加し通訳するうちに、私はいつの間にかピラティスの虜になっていました。
私は拾ってもらったのだ。これをものにしなくちゃ。最後のチャンスかもしれない。そんな気持ちでした。

ところがある日、アルバイトの私は除かれた、選ばれた社員へのピラティス研修がどうやら始まるという噂を聞いてびっくり。「どうして私がそのメンバーに入っていないのか!?」私は直接社長に電話で訴え、研修に入れてもらうことができました。こんなにも大胆になれたのは、後にも先にもありませんでした。

さて、私自身の話が長くなりましたが。。。。

当時勤めていた会社は、【NYで認定を受けた正式なインストラクターによる正統派ピラティスを日本で体験できる】ことを売り言葉に、器具を使ったプライベートセッションをスポーツジムに取り入れ、店舗展開していく計画を進めていた。

ところが急遽、社内でピラティスを指導できるインストラクターを育て、新しいスポーツ・ジムの店舗展開に合わせて、どんどんクラスを増やせるようにする方向へと路線変更した背景(=社員への研修を始めた)には、

他の大手スポーツクラブがピラティスの可能性にいち早く気づき、正式なインストラクターによるピラティスがどう正当なのかの区別なんて誰も知らない時期に、素早くスタジオで出来るマットクラスを導入し、新しい客層をつかんで成功していったことがある。社内で研修して、マットピラティスを教えられる先生を生み出していったのだ。それはピラティスなのか?!と私は疑問に思っていました。その頃のアメリカで、セレブの間でも流行っているピラティスと言えば、様々な器具を利用した1時間のプライベートのセッションであって、その形式をそのまま日本に広めたかった社長の構想は、長く時間のかかることだったために叶わないこととなった。

 

現在日本でピラティス、と言えばまずヨガのようにマットを敷いて、その上で行う運動だと誰もが思うようにしたのは、大手のスポーツジムがそう広めたからなのだ。

そうじゃないのに。と悔しい思いもかつてはあったが、ピラティスがこうして日本で知られるようになったのは、そういったスポーツジムのおかげだと今は思える。

最近では、海外でピラティスを学んだインストラクターも増え、質の良いワークショップも日本で受けられるようになるほど、ピラティスが日本に定着してきている。

そしてここ数年は、エルダー、第一世代ピラティス・ティーチャーと呼び方は様々あるが、いわゆるピラティス氏の直弟子だった貴重な存在を一人、また一人、失いました。
そういった中で、誰がエルダーで、誰が第一世代ティーチャーで、私はこの流派の者だとか・・・以前は気になっていたことも、もう今はどうでもよくなっていました。

ただ私はピラティスを学ぶチャンスを頂いただけ。

・・・・・・

社内研修を終え、都内にいくつも増えたスポーツジムでピラティスのクラスをしばらく担当し、また社内でなく、外部ジムで開催される指導者養成コースにも関わり、ピラティスを広めていくお手伝いをしました。

それからしばらく時が経ち、かつて社長が目指すようにと言ったピラティス・インストラクターになろうと決心して会社を辞めた。社長が日本に連れてきたインストラクターは皆、ニューヨークにスタジオを持つ、ロマーナ・クリザノウスカの養成コースを修了していたので、会社を辞めた後、すぐにコンタクトをとり、渡米、修行が始まった。私のピラティスへの道はこうして始まったのだった。

 

現在では、日本にいながらにして海外の素晴しいピラティス指導者から学ぶチャンスまである。イブ・ジェントリーの高齢者向けのエクササイズをZoomで学び、デボラ・レッスンのキューイングの素晴しさに舌を巻き、一言一句メモしたりできる(!)。ブルース・キングの残したエクササイズを本で学び、彼の21のルーティンを自粛期間中に毎日継続した中で学んだ事も多かった。コロナによって失われたものもあるが、逆に可能になったことも多い。

本当にピラティスを愛してきた指導者から教わってきた事は、言われて何年も経ってから腑に落ちることが多かった。

時を経て人から人へと伝えられてきたピラティス。
色々なことがあって私も今、ピラティスを伝え続けています。