【ようのよむヨガ⑧】『短くて恐ろしいフィルの時代』

こんにちは、ヨガインストラクター/書店員の葉です。

7月はお休みいただいてしまったこのコーナーですが、今月は無事?戻ってきました。またぼちぼちと好きなものを好きなように紹介していきます。

 

今回ご紹介するのはジョージ・ソーンダーズ著、『短くて恐ろしいフィルの時代』(河出書房新社)です。最近文庫化されたばかりですが書かれたのは2005年。でも帯に書かれているとおり、本当に「今」を感じさせる作品です。

 

国民が一度に一人しか居ることのできないほど小さい「内ホーナー国」。その他の国民は「内ホーナー国」を取り囲む「外ホーナー国」に設置された、一時滞在ゾーンにひしめき合うように立ったまま、中に入る順番を待っている。そしてそれを外ホーナー国の人々(と言っても5名ほど)が、内心こけにしつつ眺めている、というのが物語の発端です。

設定からしてものすごくナンセンスですが、この調子で話はどんどん続いていきます。ある日、急に国土が縮んでしまった内ホーナー国、どうしでも現住人の体全体が国に収まりきらなくなってしまった内ホーナー国に対して、外ホーナー国市民であるフィルは、国境侵犯という問題の解決策に税を取り立てることを提案し、そこから彼は熱狂的なスピーチによって頭角を現していきます。

国民によって選ばれたはずの大統領には能力が無く、側近たちは先回りするように大統領のダメさを庇い(いわゆる忖度?)、しかしフィルというもっと分かりやすい代わりを見つけると、あっさり大統領を見捨てていく。マスコミは国の発表をセンセーショナルで解り易い見出しにし、それを大声で繰り返す。そして異議を感じた国民の声はかき消されてしまう…

不可抗力で国に居られなくなった(というか収まりきれなくなった…)人々に対して示すべきはまず思いやりであって、自国の土地利用代金を要求することではないはずで、私は入管での人権軽視による死亡事件や、難民、亡命者への日本政府の冷淡さを思い出しました。他にも今の社会状況と照らし合わせずにはいられないエピソードの数々。もしかしたら現状の方がすでによぼど不条理なのかもしれません。

 

誰かが将来この時代を振り返り、『長くて辻褄のあわない日本という時代』という物語を書いたりして…など、今の時代を表す仮タイトルを思わず想像してみるのでした。フィクションは私たちの想像力を刺激することで、解説書よりよほど強力なパワーを発揮することがありますが、まさにそういう作品だと思います。

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今月はオタマに代わり、先輩オハギに登場してもらいました。特に意味は無く…オタマも相変わらず元気にしています。(推定1歳になりました)

【ようのよむヨガ⑦】短編小説集『むずかしい女たち』

こんにちは、ヨガインストラクター/書店員の葉です。

今回紹介する本も先月に続き短編集なのですが、フィクションとはいえ痛々しい描写やかなりきついエピソードが多く、紹介そのものを迷ったのですが……これもまた私の一部ではあるなと思い直して書いてみることにしました。ロクサーヌ・ゲイの短編小説集『むずかしい女たち』です。

私の頭の中身はアナーキストでありフェミニストという感じです。

こう書くと過激っぽいのかもしれませんが、普段クラスや仕事、日常生活で暴れまわったり喧嘩を売ったりしてはいないので安心してもらえると有り難いです。ものを考える時のベースがわりとそう、という意味です。

アナキズムは無政府な混乱状態を思い浮かべがちですが、そういうことではないです。かなりざっくり説明すると、中央集権的な政府や利益の追求のみを良しとする資本主義を代表とする強い権力が(強い権力、今の世の中だと男性中心の社会で偉い立場にいる人達、おじさん、おじいさん、その中で上手く動けた女性を主に指すと思いますが…)、周りから一方的にいろいろ吸い取っていく構造、それに頼った社会の仕組みを解体し、人の繋がりによって個人の自由と平等を求めつつ、地域を動かしていこうという考えです。実はわりと牧歌的な考えです。ただし、今の世の中の作りにあまり不満が無い場合、それをひっくり返したいという考えではあるので過激と言えるのかもしれません。

そしてそう考える過程で、さっきも触れた、男性を中心に置いて構成されている今の社会も作り直したいよなぁ…となると、男女同権を掲げるフェミニズムにも触れないわけにはいかなくなります。ネットでこのnoteを読んでいるということは、#MeTooを知らない方はほぼいないかと思います。海外でスタートした運動ですが、ネットのおかげもあって、日本にもフェミニズムの新しい流れが少し入ってきたのかな?という感じがします。

こういう動きに対して「日本は日本だ。これが日本の伝統社会だ。」という言い人たちもいますが、えーと、だったらその日本を変えればいいいじゃん?というのが私の考えです。自分をめんどくさい人間だなとは思いますが、今更どうにもならなりません。そして、そんな私が目にした瞬間にピンときたタイトル、それがロクサーヌ・ゲイの『むずかしい女たち』です。私の場合はむしろ「めんどくさい奴」なのですが。

収められたストーリーはDVや幼児への性的虐待、レイプなど、シリアスな主題のものが多く、身近と思うかどうかはその人次第だとは思いますが、私と同じ歳の著者が描いた物語の中に詰めこまれた、自分ひとりの力ではもうどうにもできないという「感覚」は、私にとっても馴染みのあるものでした。女に生まれたので、まともな社会参加を最初から諦めていたようなところが私にはあったので。この仕組みで頑張ってもあの辺りで止まるんだよねと思ったら、目線も姿勢も斜めになるしかなく、「だからって、私には特にどうにもできないよな」と思っていました。

誰にでもおすすめですというタイプの作品では全くないのですが、ぐっさりと刺さるものが好きな方は興味があればぜひ。同じ著者のものだと、『バッド・フェミニスト』はポップカルチャーを織り交ぜながら書かれたエッセイ集なので、こちらの方は楽しく読めるかもしれません。

という訳で、心身の両方の修養であるヨガですが、このように頭の中身が全然シャンティではない私なので、どこまでいっても、それこそ「バッド・ヨガティーチャー」なままなのかもしれません。ヨガ的には来世があると考えることもできますが、それはあまりにも遠く、皆さんにまた会えるとも限らないですし…

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オタマは本を乗せた程度では怒りも起きもしない、飼い主よりシャンティなタイプに育ちました。

【ようのよむヨガ⑥】短編;息吹

こんにちは、ヨガインストラクター/書店員の葉です。

今回は、かなりルール違反ですが、まだ読んでいる途中の作品を紹介してしまいます!とはいえ短編集なので、その中の読み終わった物語についてです。

紹介する作品は短編『息吹』、それが収められた書籍のタイトルも『息吹』で、SF/ファンタジー作家テッド・チャンの作品です。以前も書きましたが、私は映画も好きで、この作家についても映画を通して知りました。
『メッセージ』という、ものすごく雑な説明をしてしまうと『未知との遭遇』のようなSF作品がありますが、その原作となったネビュラ賞、ヒューゴー賞受賞作『あなたの人生の物語』を書いた人です。映画と原作は重要なポイントが違っているのですが、それぞれに素敵な作品だと思います。映画『メッセージ』は、宇宙船やヘプタボッドと呼ばれる生物の造形、その生物たちが使う未知の言語とその文字など、音と映像によって映画ならではの表現が興味深く、私はとても好きな作品の一つです。

 

そして『息吹』ですが、物語の最後に辿り着く、絶望、諦め、自分がここに存在するという奇跡への感謝、会ったことのない他者への希望、そういったものが完璧に入り混じったメッセージと、そこから受けるインパクトにしばらく呆然としてしまいました。今もその時の感覚が自分の中に残ったままです。なんだか、すごく大げさな書き方をしていますが…この短い文章作品の中に、これだけのものが詰めこまれていて、物語、ストーリーを描くことの意味がこれでもかと伝わる感じでした。さらに大げさになってます…

特にネタバレがどうという物語でもない、と私は思うので書いてしまいますが(少しでも嫌!という人はここで終了してください)、

地球と少し似ている、でも人間とは全く違う仕組みで動いている生命体の生活と、その世界が避けようもない最後を迎えるというものです。この中で起きていることは、今私たち人間が地球に住んでいる状況とかなり似ていて、このままではここに住める環境ではなくなることが解ってはいるものの、即効性のある解決法が見つからないまま、どんどん時間が過ぎていきます。

避けようのない滅亡に対して主人公は素晴らしい解釈をし、他の存在たちに向かってポジティブとも言えるメッセージを残すのですが、果たして人間もこのように美しく、ある種、潔い結論に至れるものなのだろうか?と考え込んでしまいました。

この物語の生命体の身体は金属で構成されていて、地球の生命体のような有機的、オーガニックな存在ではないので、終末もシンプルな「静止」として迎えられるようです。ですが、有機的な仕組みの中で生きる、有機的な生命である私たちが環境の危機を迎える場合、住環境の悪化や飢えなど、もっと生々しい状況を通ることが想像できるからです。

他の作品もとてもスマートに書かれていて、気持ちの悪い、落ち着かない結末は今のところありませんが、それでも読み終えるとぐるぐると考えてしまう作品が多く、そういうのが好きな方にはおすすめです。私は好きです。

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写真はSFっぽく?ディバイスの中の小説を撮ってみました。

この中に本が何冊も入っているなんて、子供の頃、家のテレビが白黒だった人間から見るとすごいことです、ほんと。

【ようのよむヨガ⑤】内臓とこころ

こんにちは、ヨガインストラクター/書店員の葉です。

緊急事態宣言が再び出されるだろう、というニュースを見ながらこれを書いています。

人間は高度に発達した生命である…と自分たちは思っていますが、今のような状態で1年経ち、宣言の内容を巡ってより効果的なものを実施することも難しそうな様子を見ていると、それって本当かな?という気がします……再び暗くてすみません…

さて!高度に発達したといえば前回紹介したタコです!

人間とは全く違う仕方で神経系、認知の方法を発達させた生物で、私が興味を持ったポイントがそこだったのですが、では人間はどんな風に?というところで私が面白いなと思ったのが三木成夫(みきしげお)の著作でした。

著作は多数ありますが、今回は手に入りやすそうな文庫『内臓とこころ』(河出書房新社)をご紹介します。

正直、時代を経てきて「それはどうなのよ?」と思うような表現や考え方もあるので、頭の中で抵抗も感じながら読んでいるというのが正直なところですが、人間が進化していく過程でどのように体を発達させ、何を捨て、退化させてきたのか、体の中に残っている進化の名残が、今の私たちの体の中でどのような働きを担い、影響を与えているのか、ということが興味深く書かれています。

講演や対談を書き起こしたテキストも多いせいか、科学者の著書というにはあまりにもエモーショナルで、完全に独自のワールドが展開されていると思いますが、そのせいもあって読み物としての面白さにもあふれています。

その後に”The Body in Motion”(Theodore Dimon, Jr.著)というアレクサンダー・テクニークのプラクティショナーの著書を紹介してもらったのですが、こちらも脊椎動物としての進化の過程で人間の体がどのように変化していったのかをベースに、骨格筋の仕組みと動きを理解しようというもので、『内臓とこころ』などを読んでいたおかげで、進化の過程による機能や形の変化という考えに抵抗無くなじむことができたと思います。

ヨガのポーズを実践することはヨガ全体から見れば実はほんの一部のことです。とはいえ、私が実際のところ行っているのはポーズの指導なので(呼吸やマインドへの働きかけも付随しているとはいえ)、体の実際的な機能や働き、役割についてはもちろん興味がつきないです。それと同時に、体や精神がここに到る過程に物語を感じられるような考え方に惹かれます。恐らく人間が進化の頂点でもなんでもなく、ただ生き物の一種であると感じられることで、ある種気持ちが解放されているのかもしれません。

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ところで、猫たちは完全に独自進化を遂げたと思います。

【ようのよむヨガ④】タコの知性

こんにちは、ヨガインストラクター/書店員の葉です。

これを書いている今、外は嵐のような雨と風です。

日本では重要な立場にいる人たちが女性蔑視、容姿蔑視発言をし、アメリカではコロナウイルスのパンデミックに端を発した、アジア人蔑視が大量殺人事件にまで発展しました。

他者を蔑まずにいられないなんて、人間とは何なんだろう…という気持ちです。困難や違いを乗り越え、社会は次第に良いものになる、と思っていたのですが…なかなか難しいようです。

 

外のお天気同様、どーんより…始まった今回のよむヨガですが、

紹介するのは、池田譲 著『タコの知性 その感覚と思考』(朝日新聞出版)です。

これまでは、以前からの好きな本を紹介してきたのですが、今回は新しく読んだ本をチョイスしてみました。

ところで、私は本だけでなく、映画やドラマもかなり好きなのですが、こういう「…人間シンジラレナイ」みたいな気分の時に見たい作品、それが『オクトパスの神秘 海の賢者は語る』というドキュメンタリーです。

先日、アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた、タコの知性や好奇心、人間との交流に驚かされる作品で、今はNetflixで観ることができます。原題は”My Octopus Teacher”、『わたしのタコの先生』。この中に登場するタコは、自分の姿を通して生きることについて教えてくれるような存在でした。

これを観て以来、タコという生き物が気になって仕方がなく、私もタコと友だちになりたい!などと思っているのですが、そんな時に出会ったのがこの本です。

あの映画で見た、タコの行動の仕組みを知ることができるのは?とすぐに購入しました。タコにも人間と同じく脳はあるのですが、「腕で考える動物」と言われるほど、脳よりも、腕にある情報伝達装置の方が多い生き物で、人間とは全く違う仕組みで世界を理解し、高い知能と認知力、好奇心を持ちながら、とても短命で、繁殖を終えると1年程度で一生を終えるものが多いです。

人間のわたしから見ると、もっと長命であれば、それだけの知性で成し遂げられることも多いのでは?と、その短さに驚かされるのですが、時間の長さ、短さも人間が人間界のルール、概念として設定したものです。

シンプルに、でも好奇心を持って独りで一生を生き切る様子には、日々迷いを抱いてうろうろと生きる人間としては、思わず憧れを抱いてしまいます。

実はもう一冊『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』(みすず書房)という本も購入して、こちらはまだ積んだままなのですが…いつか、ここで紹介できたらいいなと思っていますが、ヨガではなく、タコの話ばかりそんなに要らないですかね…

ところで「積ん読」という言葉ですが、海外でも積ん読の概念はありつつ、しかしぴったりくる言葉が無かったためtsundokuとして紹介され、そのまま使われ始めているようです。

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写真は上から2番目、下からも2番目、真ん中の子、オハギと、末っ子オタマです。無理やり登場してもらったので、「何でそこに置くの?」と顔に出てしまっています…